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*よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!!*
・-・-・ 15の幾何学的性質 ― 局部的対称性 ― ・-・-・
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私の暮らす近隣の果樹園では、葡萄の収穫を終えて、柿が色づくこの頃ですが、
お元気ですか。(*^o^*)
いつもご購読ありがとうございます。(*^o^*)
今回は、初めに、子供に原風景として見せたい近隣の都市農園の風景を、
皆様にもご覧になって頂けたらハッピー!!
実際住んでいるのはマンションとはいっても、
その全体規模や路地との関係から(^_-)☆、公的住宅よりも地域に馴染んだ、
「家路」のメロディーとともに流れる子供達に帰宅を促す夕方の放送でも、
帰らない我が子に、「ご飯だよ〜」と大声で叫ぶことも出来るところです。
子供達の遊び場所として最適な前面道路は通行止めの袋小路で、
子供のチャレンジ心をそそる石垣と全てを見守る大木があり、
建物自体も公的融資利用で建設された賃貸マンションで、
私的資産価値のため子供達に目くじらを立てる大人もいないところです。
勿論、受験生もいるので、騒音を控える本当の心配りもあります。
20年以上前に工事管理したご主人のご一家が、そのまま管理していて、
形の上でも中心に位置して、
この親しくも慣れなれしくはならない近隣の雰囲気を作り上げています。
私はアトリエ兼住宅にしているので、
クライアントを招くには気が引けることはあっても、
「あ〜、良かったな。やはり、まだここがいいな」と、
子供を2階の窓から、「いってらっしゃ〜ィ」と見送る日々です。♪♪(^o^)♪♪
そして、数日前、恩師の一人の建築界の重鎮、F先生が、
お一人でご近所を歩いているので、ご挨拶の為に声を掛けたら、
自邸を新築されて引っ越されて来たそうで、驚きつつもハッピー!!
「農園の景色はいいんですよ〜。近くの直販売所の採れたて野菜もおいしいですよ。
葡萄もあるんですよ〜」と話すと、
「だから、越して来たんだよ〜」と。ハッピー!!
本当に、癒される環境で、毎日、心身ともに健康な状態でいてこそ、
アルファ波を出しながら創造的仕事に励むことが出来るのですね〜。♪♪(^o^)♪♪
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さて、前置きが長くなりましたが、
今回は「生きているプロセス」から生成される「生きている構造」に、
結果として備わる幾つかの性質、15の性質の中の
「LOCAL SYMMETRIES ― 局部的対称性」について
取り上げたいと思います。♪♪(^o^)♪♪
(The Nature of Order 1 p.186〜p.194
http://www.natureoforder.com/ から、「The Nature of Order - Book 1」を購入できます。)
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C・アレグザンダーは、以下のように始めています。♪♪(^o^)♪♪
「私達は、各々の強いセンター、中心が、
空間の中で広くに及んで起こっている全体性、
微小宇宙(ミクロ・コスモス)であることを見てきています。(^_-)☆
多くの例において、フィールドの中でひとつの強いセンターの存在は、
かなりの度合いで、様々なかみ合わせ方や、重なり方で、
局部的あるいは部分的対称性に拠っているということが、
暗黙の内に示されています。(^_-)☆
これは、最も明らかに起こっています。
なぜなら、センターの存在と部分的対称性の存在は近しく関係しているからです。
部分的対称性があるところはどこでも、センターがあるという傾向があるのです。
生きているセンターが形成されるところは、
度々なんらかの部分的対称性を備えることを要するのです。(^_-)☆
しかしながら、命と対照性の間の正確な関係は、
混乱したものになっています。
生きている事物は、度々、対称であっても、
完全に対称であることはほとんど稀なのです。(^_-)☆
むしろ、完全な対称性は、度々、生きているというよりは死んだ事物の印です。(^_-)☆
主体の明快さの欠如は、
部分的対称性から、全体に及ぶ対称性を消し去るのに
失敗したことから起こっていると信じるに到りました。(^_-)☆
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まず、ひとつのシステムにおいて、
全体に及ぶ対称性が、それ自体によって、
ひとつの命や全体性の強い源ではない(^_-)☆ことを観察してみて下さい。
例えば、写真のインク滴の図は、
むしろ、ひとつの弱い全体となっています。
それは、一つの構造として、比較的にほとんど命を持っていません。
そのセンターは、拙く展開されています。
そのひとつの大きな対称性は、それ自体によって、
とても僅かに貴方を引きつけるのみです。
更に、建築においてですが、過剰に単純化された全体に及ぶ対称性が、
度々、最も愚直で粗暴であることを、観察してみて下さい。
ムッソリーニのファシスト体制時代のネオ・クラシックの建築物は、
あのインク滴の図のように、ほとんど、完全な対称となっていて、
それらには、ほとんど命は宿っていません。
別の例としては、写真のツェッペリン広場のヒットラー全盛期の建築物があります。
そして、写真のデトロイトのルネッサンス・センターのプランは、
本当の建築家によって、実際、提案されたのですが、
同様に硬直的で誇張された対称性を備えています。
もしも、そのプラン通りに建てられたならば、
明らかに、この場所は、あまり生きていないでしょう。
その大きな構成とその部分において力強い全体に及ぶ対称性があります。
しかしながら、私達は、微妙な全体性を経験することはないのです。
それよりも、私達は、ほとんど異常な硬直を経験してしまうのです。
全く、生きているということとは、命とは反対のです。
一般的に、単純化されたネオ・クラッシック様式の大きな対称性は、
ほとんど事物の命に貢献することはありません。
何故なら、世界のどんな複雑な全体性においても、
ほとんどいつも、複雑で非対称的な力が働いているからです。
対称性をぶち壊すことを要求する立地条件や文脈や機能的与条件です。(^_-)☆
私達は、図や写真に示されている、アルハンブラにおいて、
これを、驚嘆すべき生きている全体性を、明らかに見ることが出来ます。(*^o^*)
全体に及ぶ対称性は、全くありません。(^_-)☆
けれども、デザインできる範囲で、驚くべき数多くの小さな部分での対称性が、
全体性を有機的で柔軟性があるように保ち、敷地に適合させているのです。(^_-)☆
アルハンブラのプランの美の深い広がりが、
緩やかで微妙に織り込まれた部分的対称性に
横たわっていることを理解する為に、
既に言及しているデトロイトのルネッサンス・センターのプランと比較してみましょう。
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アルハンブラでは、
其々の部屋、中庭、庭、広間、仕事場をそれ自体によって、感知します。(^_-)☆
なぜなら、その部分的対称性が、局部的により良い空間にすることを助けているからです。
デトロイトのルネッサンス・センターのプランでは、
私達は全く違う何かを感じます。
様々な様相での対称が、
その部分の各空間からの必要性によって決定されているのではなくて、
むしろ、いかなる部屋や庭園の個性に無関係の、
なにか巨大な対称性のスキームの広がりが現れているように見えるのです。
それは、部分的に起こっている命とは全く無関係に、
より大きなスケールの秩序の自動的で全体主義的広がりなのです。
故に、対称性が命の形成に貢献する本当の結束力は、
ひとつの建物の全体に及ぶ対称性ではなくて、一緒に結びついている中で、
全体の中での小さなセンターの、その部分的対称性なのです。」と。(^_-)☆
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更に詳細に理解することをご希望の方は、数十年前のC・アレグザンダーの
ハーバード大の認知学研究所での研究成果を取り上げながら、
「The Nature of Order - Book1」
の188ページから192ページに記述されていますので、
ご覧になって頂けたらハッピー!!
(http://www.natureoforder.com/ から、「The Nature of Order - Book 1」をご購入できます。)
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そして、その結果ですが、
以下のようにC・アレグザンダーは述べています。♪♪(^o^)♪♪
「なぜ、デザインにおける多くの局部的対称性の存在が、
凝集性を持たせ記憶に残らせるものにするのでしょうか。
それは、あたかも対称になっている断片が、
一種の糊のような役割を担っているようなのです。(^_-)☆
空間を一緒に保持する糊です。
この糊があるほど、その空間は、結束した、一体化した、
凝集したひとつになっているのです。(^_-)☆
もうひとつ、気付いて頂きたい詳細な点ですが、
効果的な糊であるために、多くの対称性を備えた断片が、
重なり合っていなければなりません。(^_-)☆
それらが、分離したり、ばらばらであっては、話になりません。
ひとつの対称になっている断片が、別のと重なっていて、
それは、単に対称になっている断片が多くあるというだけでなくて、
糊の役を果たすそれらの連続的な重なり合いも、
そのデザインをひとつの全体にしているのです。」(^_-)☆
アレグザンダーは、更に続けています。
「世界の全体性というものは、重なり合った全体性の、
ひとつの重なり合いの構造ではないか(^_-)☆という私の大きくなっていく疑いを、
しっかりと確かめていくことから、それらの実験が、
全体性の理論を見出すのに、私自身の努力で大きな役割を担うことが出来たのです。
その副次的対称性は顕著ではないのですが、
何らかのひとつのパターンの中で、重なり合っています。
それらの局部的対称性によって明確にされるこのケースにおいて、
統一体として知覚できるこの重なり合った構造は、
感じ、認められる顕著な全体性を形成するのです。
何年も後には、この統一体は、部分的対称性のみの実験にみえますが、
統合された理論の土台となり、全体性や中心性へと拡張されていくのです。
この部分的対称性が、決定的で予想を超えた役割を担っているのです。
これが、本質的にパターンをコントロールしているのです」と。
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何か、家や公園や道路や農地や樹林地などその局部的対称性が、
重なり合いながら、その地域を、ひとつに凝集しながらも、
またその地域が、その対称性を持った断片が、
他の地域の対称性を持った断片と重なり合い、
地域同士の次の次元での対称性を備えていくのではと、
疑い始められたらハッピー!!
本質的にトップダウンで意図的に生まれたあの硬直した対称性のプランと変わらない、
コンセプトとプレゼンテーションで進んでいく、
そのコンセプトにワークショップで得られたキーワードがくっついたのみで、
全体が生まれるのではなく、本当のボトムアップで、
個々の部分の積み重ね、
重なり合いで全体が生まれるということに気が付かれたらハッピー!!
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更に、「もう一度、アルハンブラのプランを見て下さい。
それは、このポイントを素晴らしく描いているのです。♪♪(^o^)♪♪
アルハンブラのプランは、全体を通して、
広く非対称的で、ネオ・クラシックの産物とは全く異なっています。
それは、自由です。鳥のように自由なのです。\(^o^)/
しかし、その詳細を見ていくと、多くの段階で、単純な対称で満たされています。
中庭も対称になっていて、部屋も対称になっていて、
壁も、窓も、柱も全て対称的になっています。
全ての部分が対称的な断片であっても、
どれも、死を感じさせるような、
私達が恐れるようなあのネオ・クラシックの対称性を、創ることはないのです。(*^o^*)
より小さな例ですが、写真をご覧ください。
アムステルダムの運河沿いの家並みに同じことを見ることが出来ます。♪♪(^o^)♪♪
ひとつの全体としての家並みは、対称的ではありません。
個々の家もみんな其々違っています。(*^o^*)
その部分をみても、プランでも、ファサードでも完全に対称的ではありません。
しかし、其々の家のプランでも、ファサードでも、
かなりの対称性を備えた断片の重なり合いで、その家並みをひとつにしているのです。
そして、この部分的対称性が、その家並みを美しくしているのです。(^_-)☆
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さて、対称性と中心性の関係は、何でしょうか。
どうやって、対称性が、各々、他を強めるセンターを許容していくのでしょうか。
多くの場合、ひとつの対称性は、
初期的なセンターを確立しているものなのです。(^_-)☆
むしろ、圧倒的多数のセンターが、部分的対称性を備えているのです。(^_-)☆
其々の部分的対称は、2つの小さなセンターの間で、ひとつの対称性を確立し、
より大きなセンターを創造しているのです。
局部的条件に従って、無理なく、
非対称とならせる諸条件を解決できて、
そうして生まれた対称性は、
ほとんどのセンターをより強いものにしているのです。♪♪(^o^)
それは、破壊的でない局部的文脈、諸条件から生まれる不規則性を備えて、
部分的対称性は、センターのフィールドを結束させる糊の力をもって、
そうして、センターの結合を強めて、
より結合した、首尾一貫したものにしているのです。」と。(^_-)☆
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そして、最後に、C・アレグザンダーは、
「もしも、ひとつのセンターを創造したいのなら、若しくは、強めたいのならば、
他のセンターと部分的対称性を創造することによって、
私達は、いつも、最も簡単にそれをすることが出来るのです。(^_-)☆
そして、実際に、その最も簡単な方法が、
いくつかの、又は多くの規則的な形から、
それらをどんな不規則な中へでも繋ぎ合わせて、ひとつの複雑な物を創るのです。(^_-)☆
この構成方式は、
写真の途方もなく凄いペルシャ・タイルワークによって、
大変単純な対称性が、この荒々しくも力強い構成の中で、
対称性が形作っている新たなセンターの繰り返しで、
一緒に繋がっているということから、例証されています。」と、締めくくっています。
どうぞ、その凄いペルシャ・タイルワークの写真をご覧下さい。♪♪(^o^)♪♪
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さて、アレグザンダーは、
あくまでも「The Nature of Order 」で、
こうした生きている構造に備わる幾何学的性質について、
実体の上での形、幾何学的対象の上で、解り易く説いています。
しかし、実際の形の上での特性が、私達の内部感覚と深く結びついているのです。
何か、私達が生きていく上での、大切な平衡感覚とか、
調和を求め美や光に向かう性質と絡みながら、
生命の歴史からDNAに組み込まれているように感じられますので、
実体の上のみではなく、
前回の最後にお話しましたように、条文の上でも言えることと感じています。
そして、今回は、コミュニケーションの上で、人との対話、会話の中で、
部分的対称性が、キーポイントとして考えられるのです。(*^o^*)
個々の会話は対称的に展開しても、
全体としては、対称的では停止状態になってしまうので、
成果としては、ある方向性を持って部分的対称に成るということです。
意識的に停止状態にする場合は別にしてですが。
このコミュニケーションについてですが、全ての基本ですね。
もう10数年前のことで、クリントン政権の前で、
インターネット・ハイウェイ構想も生まれていなかった頃ですが、
私の勤務していた事務所兼研究室、バークレーの環境構造センターには、
本当に世界各地からクライアントが訪れる日々でした。
大学院の学生もそうですが、スタッフも国際的で、
様々な訛り?のイングリッシュが飛び交うオフィスでした。
ある晩、私は、そのオフィスでメリー・ローズ博物館の仕事をしていました。
そこへ、住宅設計依頼していた、遠方から訪問された
有名なロック・ミュージシャンの奥様を中心とした、
簡単な模型やスケッチを前にしたディスカッションを、大変興味深く記憶しています。
住宅は、特に個人の深いところに触れるディスカッションとなり、
その個人がより生き生きと出来るように、
其の個人が、その空間に反映されていくものですが、
その時、残念なことに、出だしで、その奥様は表面的なところで終始して、
話が噛み合っていかなかったのでした。
そして、こちらの主宰のマスキュリンな話し方のせいか、
奥様が泣き出して拒否反応を示したのを、端から見ていてハラハラと、
浅はかにも「折角の仕事がもったいな〜ィ」と感じていたのでした。
そしてその後、私の担当していたメリー・ローズ博物館の
主任考古学者のマーガレット・ルールが訪問した時のことです。
大まかな基本計画スケッチや模型を前にして、彼女とC・アレグザンダー教授と
構造エンジニアリング専門のゲーリー・ブラック教授と私で、
初の対面ディスカッションとなりました。
私以外、盛り上がって、競うようにして話していましたので、
私は自ら聞き役になろうと決めました。正直なところ、
クイーンズ・イングリッシュを聴き取りながらメモを取るのに必死でした。
それから、博物館の展示の仕方、閲覧の順序について話す内に、
米国人のゲーリーとクリスが、訪れる人の主体性を重んじる方法を主張し、
マーガレットの決まった展示、閲覧順序に強く意義を唱え続けていた時に、
マーガレットが突然泣き出しました。
そして、涙を流しながら、手が止まって深く頷く私の方を見て、話し続けたのです。
彼女が命をかけているメリーローズ・プロジェクトについて、
英国国民や、文化、歴史、文明そのものへの愛と情熱について語り続け、
私は、ただ頷き続けるのみでした。
クリスはハッとして、彼女と私の顔を見て、ゲーリーに目配せして、
ゲーリーも二人の顔を見比べ始めました。
そして最後は、彼女は、晴れ晴れとした顔で微笑みながら、
そのディスカッションを終え、握手でミーティングを終えることが出来たのでした。
ここで、今でも強く覚えているのは、
個々の話で対称的になっても、全体として、
クライアントを全面的に支えていくという方向性が重要で、
ここで何か平行線になるということは停止、死を意味しますので、
部分的対称となるようなのです。
本当にクライアントの為になることは、
一時的にクライアントと対称的になることも、充分にありえますが、
それはあくまでも局部的対称性なのです。(*^o^*)
これは、あらゆるムーブメントでもいえるのではと疑い始められたら、ハッピー!!
貴方の周囲の空間で、実際の形の上での部分的対称性は勿論のこと、
こうした対話の上でも意識していただければ、
貴方の周囲の物事が良い方向に進みそうで、ハッピー!!
ところで、冒頭に話しました、
現在、私が住んでいるマンションも、実は重なりあった部分的対称性を備えています。
その建物は隣の建物と対称的でひとつの全体となり、
そうして生まれた全体は、またその隣のマンションと対称性をもって、
より大きな全体を生んでいます。
無理無く、諸条件から生まれているので、
あの死んでいる対称性ではありません。
少し手を入れれば、ぐっと生き生きとして、
農園共生住宅群としての潜在力があるところです。♪♪(^o^)♪♪
無理のない区画整理後も、
地形に合わせて昔からの構造を残した曲がりくねった道や敷地の形から、
有機的秩序が生かされる潜在力をもったところです。♪♪(^o^)♪♪
これからも、度々出てきますので、どうぞ、よろしく!(*^o^*)
次回は、「DEEP INTERLOCK AND AMBIGUITY 深い噛み合わせと曖昧さ」
についてです。♪♪(^o^)♪♪
どうぞ、お楽しみに(∩o∩)ノ
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